自民党は“ブレない”ということを自慢げにアピールしているようだが、小泉郵政選挙の時から現首相まで何人かの(無気力な)総理大臣がいたけれど、この間ブレにブレまくっていたんじゃありませんか。
しかも2代目3代目とかの世間知らずのお坊ちゃんを首相にしちゃうんだから、自民党ってエスタブリッシュメントの私利私欲の為の政党としか思えない。
小泉純一郎元首相にしても、アメリカから押しつけられた「年次改革要望書」のまま“改革”を断行して、国を売ってしまった。その責任はどうするんだ。
小泉氏の日本社会に対する私怨は尋常じゃなかったんだろうなぁ。何もかも不愉快だ、全部ぶっ壊してやるっていうところだったんだろう、深層心理的には。こういうことを合法的に政治を使ってやろうって言うんだから、ある意味スゴい。世の中に対する不満を、通り魔的犯罪で表現する人とはチョット違うが、同じ種類の狂気をはらんでいたことは間違いない。
さて、新聞とネットとどっちの世論調査が信頼できるかなどと議論している人がいる。またしても世論調査を気にする人が増えているらしい。
世論調査を気にするのはお止めになったらいかがでしょうか。
そんなに他人が気になりますか?
あの有名なジョーク。船が沈没しそうになったときに、日本人に決断を迫る一言。「他の皆さんもやってますよ。」と促せば、死をも顧みず海に飛び込ませることができるというやつ。
自分が基準じゃなくて、他人が基準。その他人もまた別の他人が基準。こりゃ煽動しようと思ったら簡単ですわ。一匹犬を入れれば良いわけだ。羊の群れなんだから。
だが、ここが逆説的なところで、日本のような集団主義的社会では、常に他人を参照する人ほど、人畜無害で“いい人”だという事実がある。
他人の目、他人の行動を気にしない生き方を日本社会ですると、たちまち行くところまで行ってしまう。生きた人間以上の超越的価値を持っていないんだから、個人神(バモイドオキ神的な)を信仰されたら、簡単に集団を超えるだけのカリスマを持ってしまう。
最近の政治家で他人を気にしない人と言えば、変人と呼ばれた小泉氏だ。こういう変人は実は他人の目を気にしない代わりに、他人と言う存在を憎んでいる。鬱陶しいんだ消えてしまえ、ということだ。
当然無慈悲なことも平気で出来る。しかも鼻が利くから、自分と同じタイプの私怨を持った人間を選り分けることが得意だ。そこで選ばれたのが、竹中平蔵氏だ。竹中氏の社会に対する私怨も半端なものではない。裏を返せば両名とも革命家の素質があったということだ。共産党に入れば良かったのに・・・。
当時小泉氏の人気を後押ししてしまった愚かな民衆は、政策の支持とか論理で動いたわけではない。感覚とか感情、時代の雰囲気によって動いてしまった。
もう一度思い返そう。「気持ちがいいことだけど、間違っている」ことや、「不愉快きわまりないけど、正しい」ことなどは、世の中にたくさんあるということを。
感情に流されないことと、他人に流されないことは、根底的に同じことだ。
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